08 魔女の指輪

「セイカ?」
 ライテッシャは、訝しげにその名を反復する。
「そう、私の名は青華よ」
 もう一度、それを告げると、さらに彼は苦い顔をして。
「その名、変だ」
 きっぱりと言い捨ててくれやがりました。






 思うのだが、絶対この城広すぎるって。

 青華は目の前の光景を見て、ため息をついた。これでため息をついた数は、本日何回目なのか、数えたくもなかった。ここのところ、毎日ため息をつくのが日課になっているようで青華は妙に虚しい。
 とりあえず掃除を終わらせよう、と意気込むのだが、次の瞬間、その意気込みも露と消える。目の前に広がるのは、白い石畳が延々と続く大きな回廊。一体何百メートルあるのかも分からないこの回廊を、一人で掃除しなければならないという現実は、ちょっと目を背けたくもなる。
 泣きたくなりながらも、青華は箒の柄を強く握り締めた。彼女の戦いは今まさに始まったばかりだった。


 青華がこの国に来てから、2週間。青華も、やっとここの生活に慣れてきたところだ。
 目覚めたときには気が動転していたが、次第に落ち着き、生活する術を少しずつ学んでいった。今ではもうすっかり異世界の住民の中に混じって暮らしている自分に違和感さえ覚える。相変わらずここでの知識や常識には疎いが、ど田舎から出て来たそれなりの家の娘―――と、ごまかして事なきを得ている。実際、青華は飲み込みが早かったため、戸惑いながらも色々なことを覚えていった。
 だが、青華は今でこそこのようにこの世界で生活しているが、最初は驚きと戸惑いを感じてばかりだった、。
 ここが自分にとって異世界である―それだけはいち早く理解できた。周りは青華の知らないものであふれていたし、何よりここにいる人々は、明らかに青華が見知っているものではない色彩や形容を持っていたのだ。最初に驚いたライテッシャの金色の髪や碧色の瞳など、まだ序の口だった。中には漫画などでしか見たことのないような桃色の髪やら、紫の瞳、しまいには両の目の色が違うオッドアイの者までいる。
 だから、異世界だ、ということは素直に納得出来た。だが、最後の説明だけはどうしても未だに納得できない。自分の名前が―――貶されたことだけは!





「なんて名前。君の親は何を思ってそんな名前をつけたの」
 私の名前を聞いた彼の二言目は、それだった。
「…人の名前に、そこまでケチつけないでくれる?」
 はっきり言って、その時青華はキレた。自分の名前を貶されて、嫌な気分にならない方がおかしい。まして、その名前が気に入っているのなら、なおさらだ。
 特に、親からもらった『青華』という名前―――
 この名前だけは、青華にとって唯一無地のものなのだ。
 青華が青華であるための、証とも言えるもの。
 それなのに、その名前が貶された。汚されたといってもいい。そんなことだけは、いくら子どもだからといって許せることではない。
 だが、ライテッシャの次の言葉で、彼の言葉の真相がわかる。
「だって変じゃないか。貴女の親は、なんで貨幣の単位の名など、貴女に与えたんだ?」
「は?」
 予想外の答えに、青華はぽかん、と口をあけてしまう。
 その時、ライテッシャの言ったことの意味を理解したエンディカが説明を付け加えてくれた。
「『セーカ』とは、この国の貨幣の中でも最も価値の低い値の単位です。確かに、上の単位である『セドル』や『セザス』を、商人が名として子供につけることはありますが…『セーカ』をつける親はまずいないでしょう。『セーカ』は他に、『取るに足らないもの』といった意味もありますから…」
「だからいったんだ。変だって」
 ……そんな馬鹿な。
 青華の今の思いはまさにそれだった。気にいっていた名前だけに落胆も大きい。所違えば言葉の意味も違うとは、青華も分かっていたがそれでも腑に落ちない。
 落胆にうなだれる青華を見て、ライテッシャは何故か勝ち誇った顔をしていた。その表情に、青華はかちん、とくる。
「あのさ、さっきから貶してくれるけど『セイカ』って名前、意味からいえば『青い華』って意味なの。意味は綺麗なんだし、あんまり貶さないでよ。一応気に入ってるんだから」
 青華はたまらず、呟いた。綺麗な名前だと過去何回も言われたことがあるのに、この状況は理不尽すぎる。青華とて、こんな屈辱は受けたくはない。
「青い花?」
 その時、ライテッシャが不思議そうな顔をして呟く。そして、何か納得したように顔を上げた。何故か、嬉しそうな顔をして口を開く。
「ああ、なるほど。確かに貴女にぴったりの名だな。じゃあ、貴女の呼び名は『アウリフィカ』にしよう」
「アウリ…フィカ?」
 慣れない発音に、成果は舌を噛みそうになった。それに、それが青華にぴったりの名とは一体また何故なのか、わからない。
 そんな青華には気付かず、ライテッシャは何故か熱を上げた声で意味を告げていっていた。
「アウとは『青』、リフィカは『花』の意味なんだ。ちょうど、今の時期に咲く青い花の名前で、碧海一面に咲く姿がとても綺麗なんだよ!貴女が泉に現れた時、綺麗な青い花――それこそアウリフィカのような花が、泉に咲いたようだったんだ。…うん、決めた。貴女のこと、アウリフィカと呼ぼう」
「アウリフィカですか…では、愛称はアーリがよろしいでしょう」
 エンディカも納得したように頷く。その言葉に、またライテッシャは嬉しそうに口を開く。
「いいな、その愛称も。それじゃあ、貴女の名前は今日からアウリフィカ…アーリで決定だね!」
 そう、いきなり言われてきょとん、とする私。
 事態に気付いて後から少し反論したが、彼らの中でそれはもう決定事項らしい。
 よほどその名前が気に入ったのかライテッシャは満面の笑みを浮かべているし、エンディカもにこにことこっちを見て笑っている。


 結局、青華はこの世界でアウリフィカ、という名前になってしまったのだった。



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