12 愚者は踊る

夜の空の下。
 城のバルコニーで、一人の少年が佇んでいる。
 少年の黒に近いほど暗い緑の髪は、少々強い風に揺れ、彼の顔を覆っていた。
だが、その長い髪の合間から覗く琥珀の双眸は、目の前の風景を目に焼き付けるように見開かれている。
 少年の眼前に広がるのは、ただ暗い空と、暗い海。
そして、天上に輝く白い月の光だけが、地上の全てを照らす。
「…忌々しいな」
 少年は月を見つめながら、吐き棄てた。
 人はあれの光を優しい、とか温かい、とかそんな戯言を平気で口にする。
だが、月の光は冷たいばかりで、何の恩恵も与えはしない。
ただ光るだけで、なんの役にも立ちはしない。
「めずらしく不機嫌な顔だな、アランタール」
 少年の背後から声が聞こえた。
背後を振り向くと、少年―――アランタールのよく見知った人物がそこに佇んでいた。
「…そちらこそ珍しいですね。このような場所に貴方が来るとは」
 アランタールが驚いたように呟くと、相手は微かに笑いながら彼の側にまで寄ってきた。
「たまには、な。王城、というものは窮屈で仕方なくてね。たまには気晴らしをしたくなるのさ」
 そう言って、相手はバルコニーの欄干に手を置いた。

「夜だというのに、今日は明るいな。碧海に浮かぶ『青き(アウリ)花(フィカ)』がよく見える」
「…月が、明るいですからね、今日は」
 暗い夜の海を見渡せば、月の光を受けて仄かに輝く、青い何かを海面に見つけることが出来た。
目を凝らして見れば、その正体はすぐに分かる。
 開花を数日後に控えた、『青き花(アウリフィカ)』の群生。
 この碧海の一国リテリールの建国以来、ずっとこの国とその民、そして王と共に在った花々。
建国祭の時にのみ花開くその花は、その不思議な習性から、長きに渡ってこの国の象徴とされてきたものだ。
「それにしても、毎年思うのだがあの花も相当頑固だな。建国以来、決まった日にしか咲かないなんて」
アランタールの横で、楽しげな声が聞こえてくる。
何故か横にいる相手の声はどんどん高揚し、それはいつしか嘲笑に代わった。
「まさに、この国そのものじゃないか。頑固で、何も変わろうとしない、古い因習に縛られ続ける……この国の象徴だ」
 まるで道化のように笑う声が、碧海に響き渡る。
アランタールはそれを横目で見ながら、小さなため息をつく。
「だからこそ、壊すのでしょう?…貴方の手で」
 アランタールがその言葉を呟いた途端、笑い声が止まる。
不自然な静寂が、一瞬だけ場を支配する。
「何も変わらないなら。変えることが出来ぬほど腐ってしまっていたなら。…壊してしまおうといったのは、貴方だ」
「ああ…そうだ」
 碧海から、強い風が吹いた。
 二人の髪が風に舞い、その顔を覆いつくす。
けれど、その双眸だけは覆い隠されることはない。
 その、強い意志を秘めた…瞳だけは。
「…舞台は、整ったか?」
 相手が、アランタールに問う。
その問いに、アランタールは、微笑んで。
「ええ。全て、抜かりなく」
「では、始めよう」
 白く輝く月の下。
 秘められたその会合を、物言わぬ冷たい月だけが見ていた。



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