16 愚者は踊る

「やっぱり、彼女は君の遠縁の子だったか。いやぁ、当たっていてよかったよ」
「まぁ、当てずっぽうで答えたのですか?フィラカ様も大胆なことをなさいますね」
エンディカがフィラカスースの話し相手を務めながら、陶器の器に茶を注いでいく。
青華はそれを手伝いながら、なんとかなった、と安堵の息をもらした。
エンディカが他の侍女を奥に下がらせたため、今はフィラカスースとエンディカ、そして青華しかこの部屋にはいなかった。
「何、完全に当てずっぽうというわけではないよ。黒髪で黒目っていうことはライに聞いていたからね。それで、デナンに絡まれている時にピンときたんだ。この子が話に聞いていたライのお気に入りの子だって」
「…お気に入り、ですか?…私が?」
 青華は恐る恐るフィラカスースに聞いてみる。
デナンダールから助けてくれた時もそうだが、何か聞き捨てならないことを聞いた気がした。
 だが、その発言がフィラカスースには意外だったらしく、彼は驚きながら口を開いた。
「おや?当の本人に自覚がないとは。城内でも有名な話になっているよ。人見知りの激しいライテッシャが新入りの侍女に懐いてその後を着いて回っている、てね」
 そんな風に見られていたのか。
 青華は改めて、自分が外部にどう見られているのかを思い知った。
最近、暇さえあれば、青華の元を尋ねてくるライテッシャだが、少しそれを改めなければならなさそうだ。
 一国の王子と新入りの侍女の組み合わせは、外部から見れば不思議な組み合わせにしか見えない。
今は噂話に上るくらいで済んでいるが、ありもしない噂にならないうちになんとかしたほうがよさそうだ。
噂というものは、時に話を大きくしてしまうもの。
 今度から注意しなければ、と青華は固く心に決めた。
「そういえば最近ライとも会えていなかったな。…まぁ、日がな寝台の上で過ごすしか、できなかったしね」
 そう言って笑うフィラカスースに、エンディカの表情が曇った。
「王子…そう自分を卑下なさいますな。お体もきっともうじきよくなりますとも。現に今、貴方はこんなにも回復しておられるではないですか」
「…これはたまたまだよ、エンディカ。今日が調子がいいだけだ」
 自虐的に告げ、エンディカの言を退けるフィラカスースを見て、先程のデナンダールとフィラカスースのやりとりを思い出す。
今日は、調子がよかったので、医者に散歩を許された―――というぐらいだ。
今は元気そうに見えるフィラカスースだが、相当重い病気なのだろう。
心配するエンディカやライテッシャの表情から、そう簡単なものではないと理解できる。
 青華が口出しできる状況ではないため、彼女は気まずいことこの上なかった。
だが、意外なところから、この状況を変える救世主が再び現れてくれた。

「兄上!アーリ!」
 聞き覚えのある声に、その場の全員の視線が部屋の入り口に集まる。
「ライ?」
 フィラカスースが驚いたように声を上げ、その突然の訪問者を迎えた。
「エンディカが、兄上の調子がよいから兄上にも会っていい、って言ってくれたんだ。だから、急いできたよ」
 走ってきたのだろうか、突然現れたライテッシャは息が乱れていたが、その表情は明るい。
 兄であるフィラカスースに会えて嬉しいのだろう。
 ライテッシャは、満面の笑顔を浮かべてフィラカスースに駆け寄ってくる。
 ここまで上機嫌で嬉しそうなライテッシャを、青華は始めて見た。
「ほかの侍女に言伝を頼んでおいたんですよ。最近兄上にお会いできなかったので、寂しがっておられましたから。それに、貴方もライテッシャ王子にお会いしたかったのでは?」
 エンディカが、ライテッシャの分の茶器を用意しながら、ほほほ、と笑った。
 何気にこの老夫人はあなどれない、と青華は感じたが、それはフィラカスースも同じだったらしい。
 エンディカの様子に、フィラカスースは参った、とばかりに手を上げる。
「相変わらず気配り上手で人の心を読むのが上手いな、エンディカは。その通り、私も丁度ライに会いたかったんだ」
ちょっと困ったように告げるフィラカスースだったが、彼がライテッシャに会えたことを喜んでいることがすぐにわかった。
ライテッシャに優しい眼差しを向けながら、近くに駆け寄ってきた彼の頭を撫でる。
「久しぶりだね、ライ。元気にしていたかい?」
「うん!兄上も元気そうでよかった。最近身体の調子がよくないから会っちゃいけないって、いわれてたから心配してたんだ。エンディカが許してくれたから今日は来られたけど、今は大丈夫なの?」
「ああ。医者にも無理をしなければ大丈夫だといわれたからね。それにしても、久しぶりに会えて嬉しいよ」
フィラカスースに頭を撫でられたライテッシャは、照れながらも嬉しそうに、頬を紅潮させていた。
兄に久しぶりに会えて、触れることが出来て、嬉しいという気持ちに溢れているのが分かる。
「それにしても、兄上とアーリが一緒にいるとは思わなかった。エンディカから連絡をもらった時には驚いたよ」
「ああ、ちょっと中庭に行ったら偶然会ってね。君の新しいお気に入りの子だ、と気づいてお茶に誘ったんだよ」
 話が青華のことに移り変わり、二人の視線が青華に向けられた。
フィラカスースの言っていることは、大分端折っている部分があるが、それについては弟に伝えないことにしたらしい。
青華も余計な心配をさせる必要はないと分かっているから、口は挟まなかった。
ただ、少し苦笑いはしたが。
「あ、そうだ。アーリ、これ!アーリに見て欲しくて持ってきたんだ!」
 そう言って、ライテッシャは青華の側に寄り、小脇に抱えていた白い箱を彼女に手渡した。
表面が滑らかで、ひんやりとした感触の白い木で作られた小さな箱は、青華の両手より少し大きいくらいのものだった。
「開けてみて。いいものが入っているから」
ライテッシャに促され、青華はその白い箱を開ける。
「…うわぁ」
 青華は、箱の中身を見て、驚きの声を上げた。
 箱の中には、青い花弁がたくさん入っている。
砂糖のような白い粒状のものがまぶしてあり、花弁が光に当たると共にきらきら反射してとても綺麗で、幻想的だった。
「…真っ青」
 濃い青のもの、薄い水色のもの、色々な青がそこに散在している。
ひとつとして同じ色はなく、どれも微妙に色合いが違う。
青といっても、それだけで様々な色があることを青華は思い知った。
「すごいでしょう?今年一番の《青き花(アウリフィカ)》の砂糖漬けなんだ」
 青華の驚きの声に、ライテッシャは満足げに笑う。
「ああ、また今年も作ったのかい?」
 青華が持っている箱をフィラカスースが覗き込む。
「うん!今はまだ開花していないから、大きめの蕾を選んで、作ってみたんだ。自分ではうまく出来たと思うんだけど…よかったら、食べてみてもらえないかな?」
「…え」
 フィラカスースの問いの答えを聞いて、青華は驚いてライテッシャを見た。
 今の話を総合すると、この花弁の砂糖漬けを作ったのはライテッシャということになる。
まさか、これを作ったのが彼だとは青華は思ってはいなかった。
「本当にこれ、ライテッシャ…王子、が作ったの?」
「うん、そうだよ。…ほら、前言ったじゃないか。母上は基本自給自足で暮らしてた、って。毎年母上と一緒にいつも作っていたものだから、僕も作れるんだ」
 そう言って、ライテッシャは青華から箱を取り上げると、箱の中から一枚花弁を取り出した。
そして、きらきらと光を受けて反射するそれを、青華の手の上に乗せた。
「まぁ、論より証拠。食べてみてよ」
 そう言われて、一瞬青華は戸惑う。
渡された大きい花弁は、確かに綺麗だ。
綺麗、なのだが、食欲をそそられるかと言うとそうでもない。
むしろ外見が真っ青なものを食べるのは、少し抵抗がある。
 だが、ライテッシャが向ける期待の眼差しを裏切るわけにもいかない。
 青華は意を決して、口の中にそれを放り込んだ。
 噛んだ瞬間、しゃく、と小気味良い音がして、花弁の汁が口の中に溢れる。
「……おいしい」
 青華は花弁が意外においしいことに、素直に驚く。
瑞々しい花弁から溢れる汁は少ししょっぱいのだが、花弁にまぶされた砂糖の甘さと程よく会っていて、独特の味を作り出している。
それに、数回噛んでいると、花弁のしょっぱさが消え、とろみを帯びた甘い蜜が出て、また違った味を醸し出す。
今までに食べたことのない味に、いつの間にか青華は夢中になって、舌鼓を打っていた。
 その様子を見たライテッシャは嬉しそうに笑ってくれた。
「よかった!たくさんあるから、どんどん食べてね。あ、兄上も食べてみて!」
「おやおや、私はアーリの次か。ライテッシャはよほどアーリがお気に入りなんだね」
「え、そういうわけじゃ…って、兄上、何言ってるの!」
 フィラカスースの言葉にライテッシャの顔が真っ赤になる。
からかわれたことに気づいたライテッシャは怒ったが、からかった張本人のフィラカスースは笑いながら、ライテッシャの持つ箱から一枚花弁を手に取り、口の中に入れた。
「…うん、おいしい。去年より腕を上げたね、ライ」
「本当?」
「ああ。砂糖と塩の味が、いい案配だ。蜜の甘さも十分だし、後味もさっぱりしていていいね」
 食べて一時してから述べられたフィラカスースの感想に、ライテッシャはからかわれていたことも忘れ、無邪気に喜んだ。
その様子が本当に嬉しそうで、見ていた青華も嬉しくなる。
それは、青華の傍らにいたエンディカも同様だったようで、仲の良い兄弟の姿を、まるで母のように微笑みながら優しく見守っている。
「さぁさ、お茶も入れ直しましたし、お茶会にいたしましょうか」
 改めて、エンディカがライテッシャとフィラカスースにそう告げると、二人ともすぐさま同意した。
 談笑しあう三人を見て、青華は「温かい」思った。
その中にいる自分に嬉しくなる。
この世界に来てから久しぶりに感じる、穏やかで優しい時間の中で、青華は自分の頬が緩むのに気づいたのだった。




「アラン!アランタール!いないのか!」
青華がライテッシャ達と穏やかな時間を過ごしている頃、自室に戻ったデナンダールは、怒鳴り声を上げながら、探し人の名を呼ぶ。
室内は人気がなく、昼間だというのに薄暗い。
だが、その中に一つだけ異質な影が、混じる。
「おや、お早いお戻りでしたね。王子」
 調度品の影から這い出るかのように現れたのは、暗い緑の髪の少年、アランタールだった。
アランタールは不適な笑みを浮かべながらも、部屋の主人たるデナンダールを迎えた。
「会いたくもない奴に会った。まったく、今日は厄日だ…!結局、あの娘も逃がした」
「娘?」
 デナンダールのために酒と酒器を用意しながら、アランタールが聞き返す。
「また戯れに侍女にでも手を出したのですか?」
「違う!怪しい娘がいたので、捕らえようとしただけだ。建国祭前の『青き花(アウリフィカ)』を咲かせるなど…」
「…《青き花(アウリフィカ)》を、咲かせた?」
それはありえない。
アウリフィカの蕾は、建国祭でしか花開かない。純粋に、アランタールはそのことに興味が沸く。
「調べてみましょうか、その娘」
「ああ。時間があるなら調べろ。もしかすると、フィラカの伏兵かもしれん」
デナンダールはアランタールから酒の杯をを受け取ると、一気に飲み干した。
「それは調べて早急に対処した方がよさそうですね」
「そうだ。何者にも、ここで邪魔されるわけにはいかん。建国祭まで後7日。『計画』のためにも、不穏分子は早々に片付けておけ。そうでなくば、お前を雇った意味がない」
「了解しました。全てを抜かりなく万端にするためにも働きましょう」
一礼してアランタールは目の前の存在に敬意を示す。
「我が主よ」


inserted by FC2 system