17 翠の魔術師

フィラカスースとのお茶会から数日後。
「見つからないわね…」
「うん…」
 相変わらず指輪の宝石は見つかる気配すらない。
城の中庭で、青華とライテッシャは、同時にため息をついた。
 青華はライテッシャの様子が暗いことに気づく。
 今日も青華に指輪探しを提案してきたのは、ライテッシャだった。
だが、探している途中も今も、ずっとそわそわしていて、何故か落ち着きがない。
まるで、他の何かを気にしているような、そんな様子で。
「今日は何か落ち着きがないけど、どうしたの?何か、あった?」
 唐突にそう聞くと、ライテッシャはびっくりしたように、青華を見つめた。
どうやら、自分でそわそわしていたことに気づいていなかったらしい。
 だが、青華に聞かれたライテッシャは、ぽつりぽつりと、その落ち着きの無い理由を語りだす。
「兄上が、また調子を崩されたらしいんだ。この前は、あんなに元気だったのに……いや」
 そういって、ライテッシャは首を横に振る。
「元気な日なんて、もうほとんどない」
 その話は、下っ端の青華でも聞き及んでいた。
 数年前からライテッシャの兄、フィラカスースを蝕み始めた病。
それは確実に彼を死へと誘い、余命すら残り少ないのだと。
 あの日の邂逅は、病に侵された彼にとって、奇跡のような日だったのだ。
その事実に青華は胸が痛くなる。
デナンダールにすらおとらない意志の強さを持ち、そして優しかったフィラカスース。
病のせいで、滅多に床を離れることすらできないということは、彼にとってどれだけの苦痛だろう。
「ねぇ、アーリ」
 考え事をしていた青華は、ライテッシャの声に彼に視線を戻す。
 ライテッシャの表情は相変わらず暗く、固い。
兄に会えるというだけでも、あれだけ嬉しそうに笑っていたライテッシャ。
 本当に彼は、兄が好きで、そして心配でたまらないのだろう。
 こういう時、何もしてあげることができないという事実に、青華の顔も暗くなる。
「アーリは、フィラカ兄上の病気、治すことはできないの?」
「…え?」
 突然の問いに、青華の表情が強張った。
「兄上、ずっと苦しんでいるんだ。…ねぇ、アーリは、《女神の使徒(シャイラーツ)》でしょう?兄上の病気を、治せない…?」
 雨に濡れた子犬のような眼差しが、青華を見つめる。
けれど、青華の答えは早かった。
「できないわ」
 時を置かず、青華は断言する。
その答えにライテッシャの表情が陰った。
「私は、医者じゃない。その…《女神の使徒(シャイラーツ)》って奴でもない」
 青華にできることは、限られていた。
「私には、そんなこと、できない」
ただでさえ不慣れな世界で、やることなすこと、全てが人の倍の時間がかかる中、青華は必死でこの世界に慣れようとした。
元の世界に戻れるか、そんなことを考える暇すらないくらいに。
青華ができることなど、それくらいしかなかった。
 ライテッシャとの宝石探しも、ライテッシャのためになんとかしたいと思い、願ったからこそ、なんとかやっていけていたのだ。
 今の青華には、それくらいしかできることがなかったから。
「じゃあ、アーリは……一体、何が出来るっていうの?」
 ライテッシャの問いに、青華は応えるべき言葉を持たない。
応え、られない。
「《女神の使徒(シャイラーツ)》じゃないなら、アーリは一体、何なの」
 ライテッシャの糾弾は続く。
堰を破って、流れ出る濁流のように。
 青華を飲み込んでしまうくらいの大きな波となって。
「指輪の宝石も見つけられない、兄上の病気も治す事が出来ない…それなら、アーリは一体何が出来るんだよ?!」
 ライテッシャの言葉が、青華の胸に突き刺さった。
この世界で、青華に何が出来るのか。

 ―――そんなの、私が聞きたい。

 青華は、分からなかった。
 此処に自分がいる理由も、何が自分にできるかも。
 本当はいっぱいいっぱいなのに、これ以上何ができるというのだ。
こんな自分が、一体何を為せるというのか。
「…何も、できない」
 そうだ、何もできない。
青華には、何も。
 ライテッシャのために、指輪の宝石を探してあげる事さえできない、ただの虚構の存在だ。
「私は、《女神の使徒(シャイラーツ)》なんてものじゃ、ない」
 こんな自分が、《女神の使徒(シャイラーツ)》という存在であるはずなど、なかったのだ。
 そんなこと、分かりきっていたのに。
それだけは、分かりきっていたのに。
 結局、勘違いしていただけなのだ―――自分は。
「私は、貴方の望む存在になんか、なれやしない!」
 青華は、叫ぶ。
 もう、全てがどうでもよくなってくる。
ライテッシャのことも、自分のことも。
 ましてや、自分がここにいる理由すら。
 青華は、そこから逃げ出した。
 ライテッシャの顔を見たくなくて。

―――彼から、逃げ出したくて。



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