《かわいそうな、せいかちゃん》 脳裏に、女の姿が浮かぶ。 嫌なことを考える時、いつも浮かぶ、あの情景。 《ねぇ、もういいよね?さいしょからいなくてもよかったなら、せいかちゃんは、もういらないよね?》 伸ばされた手が、青華の首に絡みつく。 いやに白く細い手。 それなのに、その手の力は、強くて。 《ねぇ…死んで?》 可愛らしい声で、告げられた言葉。 虫も殺すことができない、優しい子どものような声で、残酷なことを言う。 おぼろげな女の手が、首に絡みついた。 《嘘つきなせいかちゃん》 手に力がこめられる。 喉が絞めつけられる。 息が苦しい。 呼吸が、できない。 《わたしが殺してあげる。せいかちゃんに意味がないのなら、わたしが―――》 「違う!」 脳裏に響く声に、青華は拒絶の言葉を叫んだ。 「違う!私は…私は!」 《あは、はははは、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!》 女の笑い声が聞こえる。 聞きたくないのに、その情景がフラッシュバックする。 白い天井。 見開かれた目。 女は狂ったように笑いながら、私の首を絞めて――― 「違う、私は……私は!」 消えない悪夢に、青華は自らの顔をその手で覆う。 顔の表皮に爪が食い込み、削られた額から血が流れる。 掌を伝う赤い血が、青華の目の端に映った。 そうだ、あの時。 あの女を、自分は――― 「そこから先に行くのはお止めなさい」 背後から、声が響く。 腕から力がすっと抜け、手が落ちる。 「その先は、まだ早い」 振り向きたいのに、振り向けない。 また、身体が動かない。 「これ以上、見てはいけない。あれは、今の貴方にとっては『毒』だから」 正体の見えない相手は、強い口調で言った。 そして、『毒』と断じた目の前の存在へ、その言葉を言い放った。 「消えなさい、幻想よ」 その声に、顔の無い女の輪郭が揺らぐ。 そして、暗闇に溶けて―――消える。 あっけない幕切れだった。 青華は、唖然と目の前を見つめるが、女の痕跡は何一つ残っていない。 まるで、化かされたかのような心地だった。 だが、目前の脅威が消えても、背後の存在は消えていない。 突然、見えぬ相手の白い手が背後から伸び、その掌が青華の目を覆った。 「なに、を……!」 「忘れなさい」 凛とした、鈴が響くように美しい声。 ―――この響きに、全てが赦される。 暗く汚れた想いが、清められ、雪がれる。 青華は、目を閉じた。瞼に、覆われた掌の感触が伝わる。 心地よい冷たさ。抗いがたい眠りが青華を誘う。 「今はお眠り。―――そして、現へ」 この声には、抗えない。 糸が切れるように、ぷつりと青華の意識はそこで途切れた。 少女の身体の輪郭はおぼろげになり、やがて溶けるようにこの場から消えた。 それを見届け、女は小さく息を吐き出した。 どうやら、無事に彼女は『帰った』らしい。 今の段階で、彼女が此処に来てしまったことは、女にとって予想外だった。 「おや、帰してしまったのかい」 嘲笑うような声が、空間に響いた。 姿は無い。 けれど、そんなことは女にとって先刻承知のこと。 気まぐれな声の主は、滅多に女の前に姿を現すことはない。 「……やはり、覗いていたのですね」 「ああ、見ていたとも」 彼の人が、こんな自体を見逃すこと自体がありえない。 「『枷』を自ら吹き飛ばしたと思えば、一足飛びに此処まで来るとはね」 今回のことは、彼の人にとっても予想外の出来事だったことに違いない。声には若干の驚きと、それを上回る喜びが混じっている。 「ああ……面白いね、あの子は」 くすくすと笑いながら、声の主は満足そうに呟く。 「本物かどうかはともかくとして、しばらくは楽しめるだろうよ」 姿の見えない主はいつまでも笑っていた。 |