22 嘘と真

 目を開けると、そこは暗い室内だった。
「…あれ?私…」
 青華は、自分が冷たい石畳の上に転がっていることに気づく。
起き上がろうとして、地面に手をつき、体を持ち上げようとしたとき、身体に鈍痛が走った。
「つぅ…!」
 何故か、鳩尾付近がずきずきとする。予想もしなかった痛みのせいで手に力が入らず、青華は地面についた手を滑らせた。地面にぶつかった衝撃と共に、再び青華はその場に転がる。
「なんで…」
 頭の中に霧がかかったかのように、意識がぼやけていた。
 何故、ここにいるのかも分からなければ、何故こんなに身体が痛むのかもわからない。
 身体が持ち上がらないならせめて首だけでも、と青華は頭を上げた。
 どこからか微かに光が漏れているためか、何もかもが真っ暗で見えない、ということはなかった。
 暗い室内を見るために目を凝らすと、周囲にあるいくつかのものが確認できた。
 まず見えたのは大きな水瓶。その横にいくつか木箱が重ねられている。周囲を見渡してみて、青華は物置のような場所のような印象を受けた。そして、自分がこの小さな空間にいることも、理解する。あまり人の手が入っていない部屋なのか、息をすると埃が喉に沁みる。何故こんな所にいるのか。理由は未だにわからなかった。
 青華は、必死に自分の行動を思い出すために、思考を巡らせる。指輪の宝石を探していて、ライテッシャと意見の違いから、ケンカになったこと。いらいらしながら城内を歩いていたら、確か不思議な少年に出会ったこと。暗い緑の髪と、琥珀の瞳を持った、不思議な少年。いらいらしている所に、しつこく詰め寄ってくるあの少年に怒って……。それからが、思い出せなかった。その後の記憶、自分がどうしたかの記憶が、すっぽりと抜け落ちていた。
「なんで……?」
 記憶の混乱に、青華は頭を抱える。だが、それ以上は考えても何も分からない。何も覚えていない。
 何故、と自分で自分に問いかけても、その答えをもっているのは青華ではない。むしろ、その答えを持っていそうなのは―――
「あー。やっと起きたんだ、あんた」
 突如聞こえてきた声に、青華は背後を振り向く。背後には積まれた木箱が並ぶ。その上に、あの暗い緑の髪の少年が、不敵な笑みを湛えて座っていた。



*****


「まぁ、改めて、ハジメマシテ、かな」

「前言ってなかったから、言うけど俺の名前はアランタールね。あんたは?」
 いきなり現れた少年―――アランタールは、不躾に名前を聞いてきた。
一瞬、言うべきか迷うが、ここで突っぱねたところで無意味だった。
「…アーリ。そう呼ばれているわ」
 咄嗟に、ライテッシャに呼ばれている愛称を名乗る。
疑惑の元になっている『アウリフィカ』から付けられた名を名乗るのは憚られた。
それに、本名を教えるのも腹立たしかった。
「へぇ……アーリ、ねぇ」
 名を聞いて、相変わらずにやにやとアランタールは笑った。けれど、その目だけは、笑っていない。確実に、青華を『品定め』している―――そんな、目だ。
 嫌な汗が青華の額に浮かぶ。まるで猛獣に狙われた小動物の気分のようで、青華は落ち着かない。
「ところで、あんたさぁ……何が、『できない』だよ。あそこまでのものを秘めているくせに、よくあの時あんなことが言えたね」
 嫌味ったらしく告げたアランタールの顔には、何故か侮蔑の色が伺えた。
「…は?なんのこと?」
 しかし、青華は、アランタールが何を言っているか分からなかった。
あの後、何かがあったのかもしれないが、青華は先ほどの記憶が抜け落ちている。そのため、アランタールの言っていることの意味がさっぱり分からなかった。
「覚えていないのか?」
 きょとんとする青華を見て、アランタールが呟いた。
彼の表情に驚きが映るのと同じくして、その毒気が消える。
そして、青華から視線を外し、何事かを呟き始めた。
「あれだけの力を解放していながら、本人が気づいていないのか?」
 独り言をぶつぶつと言いながら、アランタールは自らの思案に没頭し始める。「不可解だ」とでもいいたげな表情。 しかし、それは一時のことで、小さくため息をついた後、再び青華にその視線を向けた。
「まぁ、いいや。おいおい調べるとして……あんたはしばらくここにいてね」
「はぁ?!」
 青華は、素っ頓狂な声を上げた。何故そうなるのか。青華は分からなかった。
「なんで!」
「あんた、怪し過ぎる上に、不確定要素にも程があるから」
 相変わらず、アランタールの言葉の意味が分からない。
 正直、青華は分かりたくもないし、理解もしたくなかった。しかし、アランタールの言葉や自分が置かれた状況。それらから類推するに、段々と分かりたくもないことが分かってきてしまう。
 ―――青華は、この少年、アランタールに攫われたのだ。。
「この時期にあんたみたいな火種を野放しにしておいて、『計画』に支障をきたしたくないんだ。―――死にたくなければ、おとなしくしておいてよ」
 アランタールが最後に言った穏やかではない単語の出現に、青華の血の気が引く。
「死ぬ…って」
 身体が無意識に強張った。
「まぁ、俺個人としてはあんたに興味あるからそうそう殺そうとは思わないけどさ。へたに抵抗するなら、少しくらいは痛めつけるよ?」
 君の力も完全ではないみたいだし、とアランタールは付け加える。彼が浮かべるのは、絶対的優位に立つもののみだけが見せる、表情だ。
「それに今の時期、へたに動くよりここでじっとしておいた方が生き残れる」
相変わらず人の悪い笑み。それはまるで悪戯を思いついた子どものようで、底知れない何かを漢字、青華の背筋にぞくりとした悪寒が走る。
「どういう、意味?」
 嫌な予感がした。
「―――人が死ぬよ。それも一人や二人じゃない。性別も年齢も、身分も関係ない。たくさんの人が死ぬ。」
 人が死ぬ?老若男女、身分に関わりなく?―――この男は何を言っているのだろう。
 青華は、呆然として目の前の存在を見つめる。彼の表情は変わらない。少年特有の無邪気さを装ったそれに、吐き気がした。
「あんた……何をするつもりなの?!」
 青華の問いに、アランタールは答えない。ただ、不敵な笑みを湛えたまま、こちらを向いている。まるで、何も知らない青華を嘲笑う神のように。
 その様子に、青華はぞっとした。少年のように見えるその存在が、今は何か恐ろしいものに見える。 子どもの皮を被った、何かがそこにいるのではないかと、そう錯覚させられる。
「まぁ、後2,3日の辛抱だから、少し我慢しててよ。つらくないように、眠らせてあげるから」
 アランタールは何もその真相は語ろうとはしない。代わりに手のひらを青華の前に突き出す。手のひらの中には親指大の何かの種があり、その殻が割れていた。割れた隙間からふわりと洩れ出るのは、仄かに光る粒子。
 鼻をくすぐるような甘い香りが辺りに広がる。それを吸った瞬間、青華の身体に力が入らなくなる。
「終わったら、迎えに来てあげる」
 ただ笑みを返し、アランタールは積み上げられた木箱の上に種を置いた。自身は木箱から降り、少し離れた場所にある外への扉に手をかける。
「待って…質問に答えて!」
 回答を求める青華の声に答えたのは、扉が閉まる大きな音。
 何の手がかりも、答えも与えられないまま、青華の身体は崩れ落ちる。
 抗いがたい眠りに、再び青華の精神は落ちていった。


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