09 告げられた禁忌

夢を、見た。
あの真白の夢を。
思い出したくない、あの夢を。

「…ダメ、だなぁ」
 セナは、バルコニーの柵にひじを置き、額に手をついた。
見たくもない夢を、再び見てしまった。
眠りにつくことが出来なくなる、あの夢を。
もう目がさえてしまって、今日は眠れないだろう。
セナは、今更こんなことで動揺してしまった自分の弱さに呆れてしまう。
「いい加減、強くならなきゃいけないのに」

 誰かを守れるくらい、強く。
 それがいつか願った夢。

 セナは、今日の出来事を振り返る。
サクリーフの一瞬の油断をついた、あの巨人の攻撃。
本当に、肝が冷えた。
危ない、と思った時にはもう、身体が動いていた。
もしかしたら、彼の実力をもってすれば、あれくらいの攻撃はものともしなかったのかもしれない。
けれど、巨人の腕を間一髪で切り落とし、サクリーフを助けることができたあの時。
自らが紡いだ軽い言葉とは裏腹に、セナの心臓は音を速くして大きく鳴り響いていた。
不安を打ち消すように、ただ何度も高速の剣を振るった。
この魔物がもう二度と目の前の人を傷つけることがないように、そう願って。
ただ、何度も切り刻んだ。
無残なくらいに、切って切って…切りまくった。

 やりすぎる必要はない。感情に任せて剣を振るな―――

 昔、父にそう言われた。
感情に任せて剣を振るって、見誤るなと。
それは、自分をも危険にしてしまうと。
でも、それでも。
「怖い、んだよ…父様…!」
 誰かが死ぬこと。
誰かが目の前からいなくなること。
 怖い。
怖くて、何も見えなくなってしまう。
それが、どんなに危険なことか自分でもわかっている。
けれど、止められない。止めることなんてできない。
最もセナが恐れていること、それは―――

「まだ、怖がっているんだね。セナ」

 突然、どこからか声が響いた。
セナは、その声に、目を見開く。
「誰!?」
 セナは顔を上げた。
そして、見たのは―――
「…黒い、髪…?」
 いつのまにか空に広がった黒い髪が、揺れていた。
「そう、セナと同じ黒い髪だよ」
 真っ白な襤褸(ぼろ)を纏った少女が、空に浮かんでいた。
帳の落ちた夜の闇の中で、その眼窩に嵌め込まれたかのように輝く紅玉のような瞳。
その双眸が、セナの黒い瞳を見つめている。
「セナは、まだ怖がっているんだ?あの静寂(しじま)を、恐れているんだ?」
 少女は、鈴が転がるように笑った。
「貴女は…」
 セナが呆然と呟くが、少女の言葉が彼女の言葉を遮る。
「駄目だよ。それじゃあ、駄目。あの闇を、静寂を、恐れたままじゃ、セナは」
 少女の妙に白い手が、セナの頬に触れた。
だが、セナは、そのことに気づかない。
ただ、その赤い双眸を見つめたまま…魅入られたまま、動けない。
「ねぇ、セナ。あの森の恐怖を覚えてる?…覚えてるよねぇ、忘れられるわけがないもの」
 そう言って、少女はセナの頬を爪で傷つけた。
頬に線のような傷が走り、赤い血が、流れる。
「セナは、今でこそ此処に居るけれど、まだ心はあの場所にある」
 少女は、流れ出た赤い血を、自らの指ですくった。
手が、赤く染まっていく。
赤い血が、手を、染め上げていく。
「ねぇ、まだ怖い?まだ逃げたい?」
 そう言って、少女はセナから手を離した。
「忠告してあげる、セナ。今起きてる魔物の増加は、あの森が原因」
 その言葉に、やっとセナは反応を示した。
あの森―――その言葉が指すのは、たった一つしかない。
「あの森こそが、全ての原因。あそこに在るアレを叩かなきゃ、いつまでたっても魔物の増加は止まらない」
 少女は、そう言って空高く舞い上がる。
「待って!それって、どういう…」
 セナはそれを見て、手を伸ばした。
このままでは、少女は去ってしまう。
少女を引き止める。
ただそれだけのためにセナはバルコニーから身を乗り出した。
そして、少女は静止し、セナへ振り向いた。
あの、笑顔を再び浮かべて。
「真実はセナの中にあるよ。セナが此処に存在するわけも、私がセナの所へ来たわけも」
 少女は、次の瞬間、笑顔をかき消した。
そして、まるで貴婦人のように一礼して。
「ねぇ、セナ。覚えておいて」
 真摯な声と共に、紡がれた言葉。
それはセナへの宣言だった。
「私は、エリネア」
 エリネア。
それが、少女を示す言葉。
その名がセナの中に刻まれる。
彼女自身、訳がわからないまま。
「聖騎士が来た。エリネアも此処に存在し得る存在になった。これで、使える駒は全て揃った。だから後は、セナ。貴女だけ」
 そして、その言葉を発した直後。
エリネアの姿は、掻き消えた。



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