05 泉に咲いた花

少年は、ただその様を呆然と眺めていた。
既に、青き光の奔流はなかった。
花開いたと思った、青き華もなかった。
だが、その青き華が花開いた場所に、変化が現れた。
否、元よりそれがあったのかもしれない。
それが、青い華に見えたのかもしれない。
だが、そこにあったのは――――

「女の…人?」

そこに存在していたのは、一人の女だった。
腰にまで流れ、空中に散在する青く長い髪。
白く透き通った肌と、その表情は恐ろしいほどまでに神がかり的な美しさを誇っていた。
まだ開かれぬ瞳の色は分からない。
だが、それでも分かる。
あの瞳もまた、青に違いないと。
それほど強烈に存在する『青』。

なんなのだ、これは。

自分の理解の範疇を超えていた。
これは有り得ないことなのだと、自分の中の何かが叫ぶ。
だが、これは既に現実に起きてしまっている。
それは、もう有り得ないことではない。
これは――――現実だ。

そう思った時だった。

ばしゃんっ!

「…へ?」
自分でも情けない声を上げたと思う。
だが、目の前の光景よりはまだましだったのではないだろうか。
何故なら――――
泉の上に出現したかと思うと、その青い光が失せた途端に女は落下しその水面に叩きつけられた。

それだけならまだよかった。
おそらく泉に叩きつけられた衝撃か、それとも別の何かのせいか、女は気絶したまま沈んでいったのだから。
それも、盛大に空気の泡を吹きながら。

「………」
あれだけ人を驚かせておいて?
あれだけ神々しく現れておいて?
あれだけ…あれだけ、人外のことをやってのけておいて!?
…ありえない。
その存在が、これだけ無様な姿をさらしているなんて…。
ありえない――――――――――っっっ!

少年は、心の中で絶叫するが、事態が変わるはずもなく。
また、現れた女も沈む以外に為すすべなく。
「あああ…もう、くそ!」
少年は、今しがた女が沈んだ泉へ向かって走る。
羽織っていた上着を乱暴に脱ぎ捨てると、祭壇に足をかけた。
そして水に飛び込む大きな音が再び辺りに響き、少年は泉の中に飛び込んだ。

泉の中で目を開けると、空気の泡の向こうに女の姿が揺らめいて見えた。
泉の中は思っていたよりも広く、また深い。
女はいまだ意識が戻らないのだろう。
深く閉じられた瞳は開くことなく、どんどん泉の奥深くへと沈んでいく。
少年は必死に水の中を進み、女の手を掴もうと手を伸ばした。
その手がやっと女の手を掴むと、少年は一気に水面へと女を引き上げようとその手を強く握った。
「…っ!」
その時、女の手を掴んだ右手に鈍痛が走る。
だが、それでも必死に掴んだ手を離すまいと少年は手に力を籠める。
それでもまだ成長期に入ったばかりの少年の身体は女のそれよりも小柄なせいか、女を引き上げることはなかなか重労働だった。
先程まで近かった水面が、遠い。
必死に水をかいて、やっとのことで水面から顔を出す。
「…ぷはぁっ!」
少年の声が、祭殿の中に響く。
息を荒くしながらも、少年は急いで女を泉の岸へと引き上げた。
自らも泉から上がり、女を仰向けにして寝かせるとまず呼吸を確認した。
だが、心配には及ばなかったようだった。
女は微弱ながらも自分で呼吸している。
多少水は飲んでいるようだが、これならばそう心配することもなさそうだった。
そして近くで見てわかったことだが、女の髪は黒く、長さも肩ぐらいまでしかなかった。
未だ閉じられた瞳から覗く睫毛もまた黒く、その顔つきも平凡で神々しいとは言えない。
先程見た神々しいまでの神がかり的な表情も、腰にまで届くような青い髪も、少年が見た幻だったのだろうか。
だが、あの時、この場に強烈に存在したあの『青』は。
少年は答えの見えぬ自問に頭を抱えながら、水に濡れた髪を右手でかき上げた。
「…いたっ!」
その時、また右手に鈍痛が走った。
少年は突発的に髪から手を離す。
この痛みは先程水中で女の手を掴んだ時に、走ったものと同じだった。
なんなんだ、と思いながら少年は未だに痛む手の甲を見る。
「…何だ、これ?」
少年は、驚きに満ちた表情で自分の手を凝視する。
そこに現れていたのは、青く光る紋章。
まるで青い華が花開くかのようなその紋章は、はっきりと少年の手に刻印されていたのだった。


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